ブッダの生涯を追いかけて Looking for a Life of the BUDDHA

サールナート Sarnath

サールナートは、ブッダが悟りを開いてから、最初に説法をした場所として4大聖地の一つになっています。
サールナートは、ヴァーナラシーからそう遠くないところにあり、鹿野苑とも呼ばれます。サールナートは、鹿+神様という意味だそうでした。
かつて、ブッダと共に苦行を行った5人の修行者が住んでおり、この5人が、ブッダの最初の弟子になりました。
この5人は、ブッダが、苦行を放棄した者と軽蔑していましたが、悟りを開いたブッダの姿を見て、温かく迎えたといいます。
この最初の説法は、初転法輪と呼ばれますが、法輪(ブッダの教え)を初めて回した(初転)ところという意味になります。

デリーから、約800kmでムガンサラ駅に到着。夜行列車で約3時間遅れ。駅に着くと、インド各地からの信者と、世界各地からの観光客でごった返していました。
そこから、ヴァーナラシーを通過して、まずサールナートを訪れました。ヴァーナラシーからサールナートまでは、10kmぐらいでしょうか。
ヴァーナラシーから近いということで、観光客もそこそこいて、日本人向けの土産物もあります。
私は、そこで、蓮華菩提樹の実で作られた数珠を購入しました。使われた実によって、値段が全然違います。

ムガンサラ駅に到着。
ヒンドゥ教最大の聖地ということで、多くの人で、賑わっていました。
迎仏塔。チャウカンディストゥーパと呼ばれています。
ここで、5人のかつて苦行を共にした修行者が、悟りを開いたブッダを迎えたと伝えられています。サールナートの近くにあります。
ストゥーパの上には、イスラム風の建物が作られています。
サールナート博物館。
残念ながら、金曜日は、クローズで入れませんしたが、有名な初転法輪像など、仏教関連のお宝が、多数あります。
サールナートは、巨大な公園になっていて、一面に、建物跡が広がっています。
5千人の僧侶が修業を積んでいたと考えられています。
僧院跡。
後ろに見えるのは、ジャイナ教の寺院です。
アショカ王の石柱は、折れていますが、上にあった獅子像は、サールナート博物館に展示されており、インド紙幣のデザインにも使われています。
15mの高さがあったといいます。
石柱には、古代の文字が刻まれています。
ダーメクストゥーパ。
高さ33mの巨大なストゥーパで、下が石で、上が煉瓦になっています。煉瓦部分は、紀元前3世紀のもので、下の部分は、紀元後5世紀に、煉瓦部分の外側に加えられたと考えられています。
下部の石の部分には、様々な文様が彫りこまれています。
美しい装飾模様です。
上の幾何学的な模様は、仏教遺跡のものとしては、珍しいようにも思います。
イスラム的要素も感じるのですが。
下から見上げると、圧倒的な存在感です。
ここで、ブッダが、最初の説法を行ったと伝えられています。。
ここにも、装飾が残っていました。
祈りの場も設けられています。
井戸の跡とダーメクストゥーパ。
ストゥーパの周りには、小さなストゥーパも
この僧院跡には、柱のようなものが残っています。
建て物の上の部分は、木だったのでしょうか。
土台の部分と、柱が残されています。
広大な遺跡です。
これは、破壊されてしまったストゥーパの跡です。
これは、柱の跡でしょうか?
遺跡群の隣に、スリランカが建てた寺院があります。
ここの菩提樹は、スリランカから持ってきたといいます。
この梵鐘は、日本のものでした。
寺院の中の仏像。
この寺院内の壁画は、野生司香雪画伯が1930年に描いたものです。
これは、ルンビニーでの釈迦の誕生の場面です。
『インド佛蹟巡禮』に、この壁画のカラー写真が掲載されていますが、驚くべきことに裏焼きになっていて、ブッダがマーヤー夫人の、左わきから生まれてしまっています。
これは、修業中のブッダに、スジャータが、乳粥を捧げる場面です。
これは、ブッダガヤで、ブッダが、悟りを開いた場面です。
これは、クシナガルで、ブッダが涅槃に入る場面です。
ブッダが、5人の修行者に最初の説法を行う場面が再現されていました。